09/03/29
■ [本] 『オッド・トーマスの霊感』 ディーン・クーンツ(早川文庫NV)

オッド・トーマスは南カリフォルニアの町ピコ・ムンドに住む20歳のコック。彼には特異な能力があった。死者の霊が目に見え、霊が伝えたいことがわかるのだ。ある日、オッドは勤務先のレストランで悪霊の取り憑いた男を見て、不吉な予感を覚える。彼は男の家を探し出して中に入るが、そこで数多の悪霊を目撃した。そして翌日に何か恐ろしいことが起きるのを知るが……巨匠が満を持して放つ最高傑作シリーズ、ついに登場!
最近またコンスタントに翻訳が出ているような気がするクーンツ。個人的に読まない時期はあったものの、最近出た少々古めの『チック・タック』と大作『対決の刻』は、共に大いに楽しめた。とりわけ『対決の刻』の筆致は作家の力量に改めて目を見開かされたというか、初期のテンションに加えてなんともいえない潤いを湛えたその美しさにしてやられた。そこには作家がこれまで描いてきた多くの主人公たちの人生同様、無為に過ごすことなく研鑽を積み重ねてきた職人の凄みすら感じさせるものがあった。
そこで本書。比較的新しい作品なので、一皮も二皮も向けた現在のクーンツの滋味ある文章が味わえる。他の大作と比べたら少々嵩は少ないが、愛さずにはいられない語り手の魅力もあって、物足りなさなど微塵も感じさせない。
「ベストセラー小説の書きかた」なんて本を出したくらいだしこれまで多くの著作を読んできたことから一時期はテンプレート臭さが気になったものだが、最近の作品や本書のようなものを読めば、書きかた指南などされても誰もがクーンツのように書けるわけではないのだということがよく判る。いたずらに小難しい言葉を使ったりひねり回したりせずとも、優しい語りは頬を撫でゆく風のように心地よく比類なきまでに美しい。綴られる会話はどこまでも自然で、描かれる登場人物たちはそこに生きているかのように確固とした存在感を備えている。
とりわけ今回はキャラクターが素晴らしい。いつもさりげない脇役にまで心配りが効いているが、語り手のオッド・トーマスはじめ小さな町の住人たちはその優しさと複雑さでもって、長く読者の心に止まり続けるだろう。
初期のハイテンションのチェイスやオチのウルトラCを再びと求める読者も、ここまでのものを読まされると絆されざるを得ない。穏やかさも緊張も泣きも、全てのクーンツの顔が見え、そしてなお新しい。最後に愛は勝つとか人間正直であるべきだとか、毎回毎回繰り返すクーンツの教えをまたかと揶揄する声もあるだろうが、それが創作上の方便などではなかったことをクーンツは極上の作品でもって自ら証明した。熱心なクーンツの読者なら気づくはず。他の誰にこんなものが書けるというのか。
■ [映画] 『ウォッチメン』

“金曜の夜、ニューヨークで一人の男が死んだ―”1985年、核戦争の危機が目前に迫る東西冷戦下のアメリカで、かつてのヒーローたちが次々と消されていた。これはヒーロー抹殺計画のはじまりなのか?スーパーヒーローが実在する、もうひとつのアメリカ現代史を背景に、真の正義とは、世界の平和とは、人間が存在する意味とは何かを描いた不朽の名作。アメリカン・コミックスがたどり着いた頂点がここにある。
映画化不可能と言われ続けた以上、映画関係者は根性を見せてくれなければならない。そのへんどうなのよと問われれば、いい仕事をしたと賛辞は惜しまないが、なんとなく釈然としない部分も多い。
忠実な映像化との触れ込みを訊いていたものの、冒頭ボブ・ディランの「時代は変わる」に乗せてミニッツメンの活躍と没落を描いたところなど、映画ならではの味付けでゾクゾクさせられるし、その後も映画にしかできない手法でもってのオリジナリティを打ち出している。特にネーナの「ロックバルーンは99」を使ったところなど、意味深な歌詞を考えるにそのセンスにはちょっと脱帽してしまった。
しかしこういうメタファーの積み重ねは、映像化にあたって已む無くカットしたものを補ったということでしかなく、ザック・スナイダーならではの個性とはほど遠い。画作りに原作への並々ならぬこだわりを見せながら、暴力とセックスの場面だけやたら誇張しているところなど監督の悪趣味というかオタク精神の発露とも見受けられるが、それは夥しい数のイコンを埋め込んで容赦ない攻めを見せた原作のアラン・ムーアの資質とは異なり、リサイクルとパッチワークを駆使して開き直る呑気な現代的オタク気質としか見えないため、アメリカに対する悪意といった重要な部分が幾分弱められてしまったようにも見えてしまう。
ただ、ポスト9.11といった焼き直しをせず、素直に敬意を込めて力業で映画化したところはやはり評価したいし、クライマックスの改変もあれはあれで納得できるものだった。原作では『アウター・リミッツ』の一エピソード「歪められた世界統一」がベースになっていることをはっきり明かしているが、欺瞞に満ちたこの作戦の本質を失わずしてなお新しい意味とよりリアルな皮肉を持たせたこの改変は、クトゥルーマニアとしては一抹の寂しさを残しつつも、それを諦め認めさせるに十分なものだった。
『アウター・リミッツ』のエタ星人のより現代的解釈が原作のあの巨大○○だったのだとすると、その画も現在そのままでは通用しないのかと変なところで時代性との齟齬を感じさせ、パラレルな世界という前提がありながらも現代の観客の視聴に耐えるとはどういうことなのかと妙に考えさせられてしまった。これは原作至上のオタクというだけでは済まされないザック・スナイダーの大人の意地か。














